2004年、私がここチェンマイに移り住んで以来、北タイを中心に国籍、職業、年齢を超えて、おもしろい出会いがたくさんありました。
なかでも印象的なのは、日本を飛び出して海外で働く女性たちが輝いていること。
デザイナー、アーティスト、研究者、ビジネスウーマン、通訳、NGOスタッフなど職業はさまざま。
言葉や習慣の違いなどのハンディ、失敗を乗り越えながら、彼女たちは自分の可能性にチャレンジして、海外で自分らしい生き方を見つけています。
そして不思議なことに、みんな一生懸命だけど表情が穏やかで、彼女たちのまわりには爽やかな風が吹いているのです。
それは欧米が舞台ではなく、ちょっとスローライフで人も心優しいアジアが活動の舞台だからかもしれません。
そんな女性たちを訪ねて、日本を離れるまでのこと、海外での仕事や活動のこと、苦労話、これからの夢などを対談スタイルで伺っていきます。
さあ、彼女たちから “いい気”と“元気”、お裾分けしていただきましょ!
⑥ 誇り高き、孤独なノマド
…ただ骨董品探しに関しては、プロの目利きが儲けを重視して、ビジネスのために買い付けるのとはようすが違っていた。骨董的な価値があるか、ないかは問題にしない。あくまでも彼女自身の感性をものさしに、旅の途中で好きなものを求めていく。それが結果として仕事になるという、計算抜きの自然な動き方なのだ。稲葉(名取美和さんのパリ在住の友人、稲葉由紀子さんのこと/筆者注釈)はそんな生き方を評してこう語る。 |
|
佐保 | 『生きるって素敵なこと!』の取材で、とても印象的だったことがいくつかあるんですが、そのひとつがご友人の稲葉由紀子さんの言葉でした。稲葉さんに美和さんの話を聞いたとき、彼女は美和さんのことを「誇り高き、孤独なノマド(放浪者/遊牧民)」だとおっしゃったんですよ。 |
名取 | まぁ。 |
佐保 | かっこいいでしょう。単に孤独じゃなくて、「誇り高き」という形容詞がつくんですよ。 一定の距離を保ちながら美和さんやバーンロムサイのことを見てきて、また今回、久しぶりに美和さんとこうしてお話を伺う機会ができて、『誇り高き孤独なノマド』という稲葉さんの表現がすごく腑に落ちるんですね。そういえば、美和さん、人に会いたくなくなった時期があるともおっしゃっていましたよね。「離人症」だってドクターに診断されたと…。 |
「わたくしって大胆で行動力があると、人からよく言われます。でも自分では小さい頃から繊細な人間だと思っていました。落ち込みにも無縁だと思われがちですが、そんなことはないの。心が沈むときは極端なんです…」 (中略) |
|
名取 | ええ。そのころ、わたくし、離人症の傾向があったんです。でも、今でも一人でいることが本当に多いんですよ。『バーンロムサイ』の敷地内にある自宅でほとんど、一人でいて仕事をしている。パーティーとかも嫌いなんです。だから誘われても、ほとんどそういう派手な場には出ていかない。 『バーンロムサイ』のこともなるべく、今、麻生さん(バーンロムサイの実務を担当する麻生加津子さん)に任せるようにしているの。 自分から進んで人に会わないのは、「私は人間嫌いじゃないのかなあ」っていうころにたどりつくんですけどね。いろんな壁にぶつかっても、それが自分の中で完結しちゃうんですよ、良くも悪くも。だから、迷ったときに人に相談することもないし。どういえばいいのかな、相談しなくてもなんとかなっちゃう。うまくできるとか、できないとかじゃなくて、いろんなことが人に相談しなくても、自分の中で完結しちゃうんですね。 だから、あまり人を必要としないし。で、必要とされたくもないし、って言うとちょっと誤解されちゃうかもしれないけど…。 わたくしの母は62歳で亡くなったんですけど、彼女が42歳くらいのときに夫(名取美和さんの父、名取洋之助さんは1962年、52歳で他界した。美和さんは当時16歳でドイツに留学中だった)を亡くしているから、42歳の時から20年間、未亡人じゃないですか。 彼女は仕事をしていなかったから、ほとんど家にいて毎日、本を読んで過ごした女性なんですよね。私、だんだん母に近づいてきたなぁっていう感じもします。ここで自分の家にいて、仕事していないときはほとんど本を読んでいるんですよ。 バーン・ロム・サイのことは自分の頭の中で、どこか完結しているんですね。それに仕事も麻生さんたちに大体はお任せしているから。開設から10年たった今では、立ち上げ当初みたいに現場で「こうしてください」とか「こうしようよ」とか言う必要も少なくなったし、日々の雑事に追われることもなくなったじゃない。 だからといって、次はどっぷりといろんな人と組んで何か新しいことをしようとか、そういうのもないし。おいしいものを作って、人を招いて食べさせるなんて気もないもんね。 自分で作って、「ああ、美味しいな」って自分で食べると、それで終わり。だから私はすごく、エゴイスティックな人間だと思いますね。 『わがままいっぱいの美和の人生』なんてタイトルじゃないけど(父、名取洋之助氏の人生を記した本『わがままいっぱい名取洋之助』のタイトルをもじっている)、わたくしはわがままっていうか、何かすごく、融通のきかないエゴイスティックなところがありますよね。 |
佐保 | でも逆にほとんどが自分の中で完結して、ある部分エゴイスティックだったからこそ、美和さんがここまで来られたんじゃないかと思います。だから美和さん流のユニークなホーム『バーンロムサイ』ができたんじゃないでしょうか。その結果、バーンロムサイの経済的自立のためにものづくりにも取り組み、『サイトーン』(『バーンロムサイ』を支援する人たちの会社が運営する、チェンマイ市内のレストラン。利益は『バーンロムサイ』の運営費などに充てられる仕組み)のプロジェクトも動き始めたんだと思うんですよ。 |
名取 | 確かにそういう面はあるのかもしれない。わたくし自身が『バーンロムサイ』を運営するにあたって、いろんな人に話を聞き、そのたびにいろいろ揺れ動いてたいら、ここまで来られなかったかもしれないですね。私は自分流のあるいみわがままな生き方をしてきて、自分が不幸せだとはちっとも思わない。でも、もしも次の人生があるならば、違う生き方をしたいなって思いますよね。同じことは繰り返したくないですよね。 |
佐保 | 今のお話を伺っていても、稲葉さんのおっしゃった”ノマド(放浪者/遊牧民)“という言葉が、美和さんにぴったりきますね。 美和さんは一カ所にずっと根を張って、同じことを繰り返すというのが好きじゃないんですよね…。(つづく) |