ソップモエアーツ物語

佐保美恵子と奥野安彦がチェンマイに移り住んだのが2004年。
1年もたたないうちに、工芸品の町チェンマイで
彼らの目を引いたお店がありました。
それが「ソップモエアーツ」でした。
山岳民族のテイスト、モダンなデザイン、そして質の高さと美しい仕上げ。
どんな人たちがこのユニークなものを作っているんだろう…。
むくむくと興味がわいてきます。
そして、偶然の出会いから主宰者のケントさんと知り合うことに…。
面白いと思ったら、行動せずにはいられないこのコンビ。
「それ行け、ソップモエの郷に!」
ということで、ソップモエアーツ物語が始まりました。
「ソップモエアーツ」のものづくりの舞台裏。
さてさて、そこにはどんな物語が秘められているのでしょうか。          

文;佐保美恵子  写真;奥野安彦
佐保美恵子 : ノンフィクションライター&ビデオディレクター 
2004年、家族でチェンマイに移り住む。北タイからの情報発信ウェブサイト『日刊チェンマイ新聞』に、自伝的ノンフィクション『夜逃げでチェンマイ』を好評連載中。2人の子ども、夫の奥野安彦、5匹の愛犬、1匹の半野生のミケ猫と古い一軒家に暮らす。山と海と温泉とおいしいものとテキスタイルが大好き。 著書に『マリーの選択』(文藝春秋)、『生きるって素敵なこと』(講談社)、『ガジュマルの木の下で』(岩波書店/企画編集)、『千の風にいやされて』(講談社)

奥野安彦 : 写真家&ビデオディレクター
「日刊チェンマイ新聞」運営者、毎日更新の「ちょっと言いタイ」に日々命を燃やしている。タイ・チェンマイを拠点に写真撮影、映像制作、ウェブサイトの制作運営の仕事に取り組む。趣味は読書、水泳、愛犬ビーグル「まっちゃん(本名マティス)」観察。写真集に『BODY(ボディ)』(リトルモア)、『ウブントゥ・南アフリカに生きる』(第三書館)、『瓦礫の風貌 阪神・淡路大震災1995』(リトルモア)、『ガジュマルの木の下で』(岩波書店/名取美和・文)、『てつびん物語』(偕成社/土方正志・文)

・ソップモエアーツの日本語ホームページ。
http://www.sopmoeiarts.info/
•日刊チェンマイ新聞はソップモエアーツの商品のネットショップも
立ち上げました。こちらも(http://sopmoeiarts.shop-pro.jp/)
お寄りください。
第 8 回 日本人ボランティアの影の力
  朝、野鳥の声で目が覚めた。ゲストハウスのバルコニーに出てみると薄明かりの中、朝もやが一面にたちこめ、山も水田もすべてが乳白色の海に沈んでいた。幻想的な風景を前に私は一瞬、別世界の入り口に一人で立っているような錯覚に陥っていく…。
 1977年、この山深いソップ・モエ地域に夫婦で移り住み、ポーカレン族の人々に衛生普及活動を始めたケント・グレゴリー。1985年、心強いパートナーだった妻を癌で亡くした後、彼は5歳と3歳の子どもを連れてスウェーデンからソップ・モエの山に戻って来る。地域の生活改善のために収入確保の必要性を痛感していた彼は、女性たちが織る美しい布に注目する。

 そして1988年からSIDA(スウェーデン国際開発団)の資金援助とイギリス人デザイナーの協力を得ながら、自立支援策としてポーカレン族の人々と販売用のテキスタイル制作を始める。公衆衛生の専門家で、テキスタイルにもビジネスにも無縁だったケント。当初、販売には苦戦したが、タイ・クラフト協会のバンコクでの定期即売会に参加し始めて、少しずつ製品が売れていった。
 SIDAの支援プロジェクトが終了したのが1994年。 自力で生き残るには販路拡大が不可欠だった。実はこの時、ケントにはラオスでの地域開発の仕事の誘いがきていた。経済的安定を考えればラオス行きを選ぶこともできたが、彼は結局、ソップ・モエ地域に残り、自立支援活動を続けることにする。
「僕がやめたら、彼らだけでは活動が続かない。6年間、必死で試行錯誤したテキスタイルプロジェクトも水の泡になる…。それなら思いきって店を構え、販路拡大に挑戦する方がいいと決心したんです」
 モノづくりへの情熱と地域貢献の実績はあっても、ケントは人前に立つのが苦手な性格。20年の山暮らしで、ビジネス経験も皆無。パートナーや後ろ盾もないが、“ないものづくし”の出発は衛生普及活動を始めたときと同じこと…。こうして彼は1996年、『ソップ・モエ・アーツ』のチェンマイ店をオープンする。販売拠点を構えたことで、やがて国内外の雑誌でも紹介され、オリジナルなデザインと質の高いモノづくりが注目を集めていく。

 ケントの人生を辿って驚くのは、多くの転機で彼がいい出会いに恵まれてきたことだ。チェンマイに続く『ソップ・モエ・アーツ』バンコク店のオープンは、日本人ボランティア磯村真沙子さんとの出会い抜きには語れない。IBMのマーケティング分野で活躍していた磯村さんは1996年、ご 主人のバンコク転勤を機に仕事をやめて、自らのキャリアを社会貢献に役立てたいと考えていた。そんなとき、出会ったのが『ソップ・モエ・アーツ』だった。
「製品の入った大きな荷物を抱えて、タイ・クラフト協会の販売会場に毎月ケントがやってくるんです。口べたな人だから、製品の前で黙って立っているだけ。ただ当時からデザインの美しさは際立っていました。ポーカレンの人々の自立支援への思いを聞き、山奥の製作現場を訪ねて、これは“本物”だと感じました。自分の仕事経験が少しでも販路開拓につながり、彼らの役に立てばと思ったんです」

(後方、右の方が磯村さん)
 バンコク店の開設準備、顧客開拓、販売スタッフの教育まで、磯村さんは無償で引き受ける。現在、バンコクの店にはカレン族の専属スタッフが常駐しているが、当初は磯村さんを中心に『ソップ・モエ・アーツ』の活動に賛同する主婦たちが、ボランティアスタッフとして働いていた。製品の基礎知識、値札付け、オーダー受注、在庫管理、チェンマイ店への連絡などを販売経験のない女性たちが交代制で担当するわけだから、その徹底は並大抵の苦労ではなかったはずだ。何が一体、磯村さんをそこまで突き動かしてきたのだろうか。
「製品の美しさ、そしてポーカレン族の人々を支援したいというケントの心意気に動かされたのが大きいですね。お客さまに失礼のないよう細かいスタッフマニュアルを作り、みんなで対応の仕方を練習したりとまさに手探りの日々でした」

(ソップモエアーツバンコック店)