夜逃げでチェンマイ

夜逃げでチェンマイ

700年の歴史をもつタイの美しい古都チェンマイ。
緑のステープ山、市中に点在する古寺の数々、
賑やかなマーケット、オシャレなカフェやレストラン…。
日本でいえば京都のようなこの街に
2004年10月17日、ある日本人家族が降り立った。
写真家・映像作家の奥野安彦とライターの佐保美恵子、
当時11歳の娘・藍海(あみ)と4歳の息子・光(こう)の四人連れ。
長年暮らした横浜の住まいも車も、きれいさっぱり整理して、
雑誌の仕事にも潔くサヨナラし、
新しい「人生の物語」をこの北タイで始めるために。
移住5年目にして初めて明かす、
試行錯誤と七転八倒、笑いと涙のチェンマイ暮らしの物語。
友人たちを巻き込み、呆れさせ、ついには同情を買い、
それはまるで「夜逃げ」のように始まった…。

プロフィール

もくじ

第1回 極楽トンボの思いつき
2009-08-27-THU
第2回 写真絵本「ガジュマルの木の下で」
2009-08-31-MON
第3回 一家4人、国際線に乗り遅れ!
2009-09-03-THU
第4回 すったもんだでバンコク着
2009-09-07-MON
第5回 バーンロムサイで「だるまさんが転〜んだ!」
2009-09-10-THU
第6回 家さがし、“物語”のコトハジメ
2009-09-14-MON
第7回 日本の暮らしに「???」@
2009-09-17-THU
第8回 日本の暮らしに「???」A
2009-09-21-MON
第9回 日本の教育に「???」
2009-09-24-THU
第10回 最初の転機は1年間のフランス遊学
2009-09-28-MON
第11回 2度目の転機、南アフリカ取材
2009-10-01-THU
第12回 第3の転機、父の死
2009-10-05-MON
第13回 「いのち」というテーマ @
2009-10-08-THU
第14回 「いのち」というテーマ A
2009-10-12-MON
第15回 名取美和さんとの出会い @
2009-10-15-THU
第16回 名取美和さんとの出会い A
2009-10-19-MON
第17回 アンダーザツリー展 と写真絵本
2009-10-22-THU
第18回 講談社に押し売り
2009-10-29-THU
第19回 「生きるって素敵なこと!」
2009-11-12-THU
第20回 アンダーザツリー展で旧友と再会
2009-11-19-THU
第21回 “大風呂敷男”の夢語り、道を拓く!
2009-11-26-THU
第22回 チェンマイ移住計画、急進展!
2009-12-17-THU
第23回 一か八かの報道ビザ申請。
2010-01-09-THU
第24回 家族そろって予防接種“大会”。
2010-01-21-THU
第25回 娘の英会話スクール、
           費やしたあの時間とお金は何処に…?
2010-02-04-THU
第26回 ぎりぎりセーフで報道ビザ、ゲット!
2010-02-11-THU
第27回 怪しい男2人組、いざチェンマイへ。
2010-02-25-THU
第28回 一家の大黒柱、チェンマイで奮闘!
2010-03-04-THU
第29回 働くダメ母、日本で奮闘!
2010-03-18-THU
第30回 蝦夷で暮らすも一生、江戸で暮らすも一生。
2010-03-27-THU
第31回 番狂わせで、ふと我に立ち返り。
2010-04-10-SAT
第32回 強行スケジュールと送別会の連打。
2010-04-22-THU
第33回 夜ごとの荷造り珍騒動@
2010-05-14-FRI
第34回 夜ごとの荷造り珍騒動A
2010-05-21-THU
第35回 TVディレクターに「お掃除おねがい!」
2010-05-27-THU
第36回 ついに「夜逃げでチェンマイ」
2010-06-03-THU

「朝日グラフ」に掲載された奥野安彦の写真。パラリンピック・
アスリートの記事とイッセー尾形さんの記事より

2002年、仕事と子育てと家事で私がてんてこ舞いする一方、
奥野さんは雑誌の仕事を次々とこなして、
撮影現場を走り回る日々を送っていました。
ただし収入が仕事の忙しさに正比例したかというと、
じつはそうでもなかったのです。

書店の雑誌コーナーには「これでもか、これでもか」と
いうほど似たような雑誌が並んでいましたが、
グラビアページといえば女の子の裸のオンパレード。
硬派のドキュメンタリー写真を取り上げる雑誌は
当時、ほとんど姿を消していました。
ちなみに写真家たちにとって貴重な発表媒体だった
『朝日グラフ』(1923年創刊)と月刊『太陽』
(1963年創刊)が休刊になったのは2000年。
この二誌の休刊は写真関係者にとっては衝撃的で、
出版界の転換期を象徴したような出来事でした。

おまけにインターネットメディアの急速な普及も影響して
個性のない雑誌はもはや売れなくなっていました。
雑誌は生き残りのために“売れる写真”、
“売れるテーマ”にますます傾いていきます。
奥野さんと同世代の写真家仲間たちは
「ドキュメンタリー写真の発表の場がどんどんなくなる」と
嘆いていたのを私もよく覚えています。
当時、部数をのばしていたのは『ジャンプ』など
コミック系の雑誌くらいでした。
出版業界の先行きが危ぶまれる中、
それでも奥野さんは雑誌に次々と自主企画を提案し
仕事を成立させては、東奔西走していました。

私の方はといえば子ども2人を抱えて仕事は半減。
逆風の中、取材現場を走り回る奥野さんを横目で見ながら
「大変だなー」という思いと同時に
「でも、でも、私は自由に仕事ができない!」という
悔しさでフラストレーションが溜まる一方でした。
子どもたちを寝かせつけたあと、それが時々大爆発。
「奥ちゃんはいいよねっ、外で思いっきり仕事ができて!」
そう口走ると、大黒柱の御仁は猛反論してきます。
「そんなこと言うなら、ボクが家事と子育てを担当する。
ミエコが外で仕事をすればいい!」
こうなるともう私は二の句がつげません。
なぜなら雑誌業界ではライターの仕事より、
写真家の仕事の方が評価が高いことが多いからです。
評価が高いということは、つまりギャラも高い。

おまけに写真の仕事は短期決戦。
撮影して写真を選んで編集部に渡せば仕事完了です。
「書く」仕事はそれに比べれば長期戦。
下調べ、取材、そして原稿を書いて、校正してとなると
所要日数は写真の軽く3倍以上。
なのに生産効率はフォトグラファーの半分以下!
フリーランスのライターが4人家族の大黒柱になるということは
フォトグラファーの2倍以上の仕事量を
こなしていかなければいけません。
これは「体壊してでも、働けー!」を意味します。
それだけは勘弁してほしい…。
やっぱり奥野さんに心強ーい大黒柱として
頑張ってもらう方がどう考えても家庭円満。
天秤座、バランス感覚に敏感な佐保としては
そう思い直して、口にした言葉を引っ込めるしかありません。

組織に束縛されず自由な生き方をしたい。
夢やテーマを描きながら意味のある仕事をしたい。
そんな思いから経済的安定とは引き換えに
フリーランスの写真家、フリーランスのライターという
立場を貫いてきたのに、変化する日本の出版業界の中で
気がつけば二人ともそれぞれフラストレーションを抱えて、
「家族」というものを支えるために奮闘していたのでした。
それでもありがたいことに仕事に事欠くこと、
日々の暮らしに窮することはありませでした。
ただ何かが違う…。このままではよくない…。
そんなつかみどころのない危機感がありました。
表現者としての危機感と親としての危機感。
そして奥野さんも私も、こう思い始めていました。
「このままでいれば自分たちの人生、
なんとなく先が見えてしまう…」と。

(仕事の問題に加えて、次に「?」だったのは教育問題。
 この続きは9月24日(木)の第9回で!
「夜逃げでチェンマイ」は週2回、月曜日と木曜日にアップされます。)


佐保美恵子:ノンフィクションライター&ビデオディレクター学習院大学フランス文学科卒業。ファッション雑誌の編集をへて、フリーランスのライターに。マンデラ大統領誕生前後の南アフリカを6年間取材して、雑誌やテレビでルポを発表。1994年から子育ての傍ら、雑誌『アエラ』『サンデー毎日』『マリクレール』などで人物ルポを担当。2001年から写真家の奥野安彦(夫)とともに北タイにあるHIVの子どもたちの家「バーンロムサイ」を取材し、その活動を支援してきた。2004年10月、CSデジタルテレビの番組制作の仕事を機に、家族4人でチェンマイに移り住む。映像制作、執筆の傍ら、自分たちのウェブサイト『日刊チェンマイ新聞』を独自のメディアに育てるべく奮闘中。著書に『マリーの選択』(文藝春秋)、『生きるって素敵なこと』(講談社)、『ガジュマルの木の下で』(岩波書店/企画編集担当)、『千の風にいやされて』(講談社)

奥野安彦:写真家&ビデオディレクター
東京綜合写真専門学校卒業。1986年から韓国に留学して韓国語を学ぶ傍ら、ソウルオリンピックまで現地の若者たちを撮影。マンデラ大統領誕生前後の南アフリカを6年間取材して、現地の人々を撮り続ける。1995年、阪神・淡路大震災発生直後から現場を撮影。1996からパラリンピックのアスリートたちの撮影に取り組み、写真集『BODY(ボディ)』(リトルモア)を出版。写真集に『ウブントゥ・南アフリカに生きる』(第三書館)、『瓦礫の風貌 阪神・淡路大震災1995』(リトルモア)、『ガジュマルの木の下で』(岩波書店/名取美和・文)、『てつびん物語』(偕成社/土方正志・文)