夜逃げでチェンマイ

700年の歴史をもつタイの美しい古都チェンマイ。
緑のステープ山、市中に点在する古寺の数々、
賑やかなマーケット、オシャレなカフェやレストラン…。
日本でいえば京都のようなこの街に
2004年10月17日、ある日本人家族が降り立った。
写真家・映像作家の奥野安彦とライターの佐保美恵子、
当時11歳の娘・藍海(あみ)と4歳の息子・光(こう)の四人連れ。
長年暮らした横浜の住まいも車も、きれいさっぱり整理して、
雑誌の仕事にも潔くサヨナラし、
新しい「人生の物語」をこの北タイで始めるために。
移住5年目にして初めて明かす、
試行錯誤と七転八倒、笑いと涙のチェンマイ暮らしの物語。
友人たちを巻き込み、呆れさせ、ついには同情を買い、
それはまるで「夜逃げ」のように始まった…。

プロフィール

もくじ

第34回  夜ごとの荷造り珍騒動②
2010-05-21-FRI
第33回  夜ごとの荷造り珍騒動①
2010-05-14-FRI
第32回  強行スケジュールと送別会の連打。
2010-04-22-THU
第31回  番狂わせで、ふと我に立ち返り。
2010-04-10-SAT
第30回  蝦夷で暮らすも一生、
江戸で暮らすも一生。
2010-03-27-THU
第29回  働くダメ母、日本で奮闘!
2010-03-18-THU
第28回  一家の大黒柱、チェンマイで奮闘!
2010-03-04-THU
第27回  怪しい男2人組、いざチェンマイへ。
2010-02-25-THU
第26回  ぎりぎりセーフで報道ビザ、ゲット!
2010-02-11-THU
第25回  娘の英会話スクール、
費やしたあの時間とお金は何処に…?
2010-02-04-THU
第24回  家族そろって予防接種“大会”。
2010-01-21-THU
第23回  一か八かの報道ビザ申請。
2010-01-09-THU
第22回  チェンマイ移住計画、急進展!
2009-12-17-THU
第21回  “大風呂敷男”の夢語り、道を拓く!
2009-11-26-THU
第20回  アンダーザツリー展で旧友と再会
2009-11-19-THU
第19回  「生きるって素敵なこと!」
2009-11-12-THU
第18回  講談社に押し売り
2009-10-29-THU
第17回  アンダーザツリー展 と写真絵本
2009-10-22-THU
第16回  名取美和さんとの出会い ②
2009-10-19-MON
第15回  名取美和さんとの出会い ①
2009-10-15-THU
第14回  「いのち」というテーマ ②
2009-10-12-MON
第13回  「いのち」というテーマ ①
2009-10-08-THU
第12回  第3の転機、父の死
2009-10-05-MON
第11回  2度目の転機、南アフリカ取材
2009-10-01-THU
第10回  最初の転機は1年間のフランス遊学
2009-09-28-MON
第9回  日本の教育に「???」
2009-09-24-THU
第8回  日本の暮らしに「???」②
2009-09-21-MON
第7回  日本の暮らしに「???」①
2009-09-17-MON
第6回  家さがし、“物語”のコトハジメ
2009-09-14-MON
第5回  バーンロムサイで「だるまさんが転~んだ!」
2009-09-10-THU
第4回  すったもんだでバンコク着
2009-09-07-MON
第3回  一家4人、国際線に乗り遅れ!
2009-09-03-THU
第2回  写真絵本「ガジュマルの木の下で」
2009-08-31-MON
第1回  極楽トンボの思いつき
2009-08-27-THU
第23回 一か八かの報道ビザ申請。

タイの有名なお祭り『ロイクラトーン』は11月。
チェンマイではこんな美しい山車が通りを練り歩く。
ep放送の番組ではロイクラトーン祭も紹介した。


ep放送から毎月のTV番組の制作依頼を受け、
チェンマイ暮らしが具体化し始めて、
はたと気がついたのがビザの問題。

現地の学校のホームページを見ると入学申請書類にも
親のビザについての記入欄がしっかりとあります。
3ヶ月以上の長期滞在の場合には基本的には、
ノンイミグラント・ビザが必要だとわかりました。
入学手続きをスムーズにするにも、
車を買うにも、このビザがないと話にならない。

おまけに私たちの場合は現地で取材をして、
まがりなりにもTV局でオンエアーするわけですから、
ノンイミグラント・ビザの中でも
報道関係者向けのMビザ(メディア・ビザ)をとり、
プレスカードがあった方が万全だと
メディア関係者にもアドバイスされました。

そういえば1988年から1994年にかけて取材で
南アフリカに取材で通ったときも、奥野さんと私は
報道ビザで現地に滞在していました。
報道関係者と正式に認められれば、
そのビザで現地国の外務省から
プレスカードを発給してもらえます。
このカードは水戸黄門の「葵の御紋」のようなもので、
プレスカードの提示で要人の記者会見や
一般人が入れないような場所でも
比較的簡単に取材させてもらえるのです。

私たちもプレスカードでマンデラ大統領の
記者会見を取材したり、ズールー族の王様に簡単に
インタビューできたりと結構助かりました。
ep放送の番組制作でタイに移り住んでも、
そのうち仕事の内容は変わっていくものです。
状況次第でビザのことも柔軟にできたのに…。
移住5年を経た今だからこそ、そういうことがわかるのですが、
当時は現地のことはちんぷんかんぷん。
ビザに詳しい友人も現地にはいませんでした。
ましてやきれいさっぱり日本に別れを告げ、
家族でチェンマイに移り住もうというのですから、
行き当たりばったりの発想はできません。
それでなくてもちょいと常識ハズレな生き方の両親に
ついてくるしかない10歳の娘と4歳の息子。
ビザのことで子どもたちを、
路頭にまよわせるわけにはいきません。

そんなわけでビザだけはきちんとしなきゃと、
目黒にあるタイ王国大使館に報道関係者向けの
ビザ申請ついて電話で問い合わせてみました。
ところがそこで私はちょっとへこんでしまいます。
日本人スタッフの対応が驚くほど冷ややかだったからです。

「すでに支局のある大手のテレビ局や新聞社なら、
特派員の交替ということで、
報道関係者のビザ発給は簡単です。
ただ現地で新たにテレビの仕事を立ち上げる場合は、
実績がありませんよね。
そんなケースだとMビザは簡単にはおりませんよ。
まず無理だと覚悟しておいた方がいいと思います」
女性はピシャリとドアを閉めるような口調です。
気の短い私は受話器を置いて、憤懣を奥野さんにぶつけます。v 「まったくエラソーな言い方して、失礼な人!
あんな感じの悪い日本人職員を置いておくと、
タイ大使館の評判はすごく落ちるよね!」

言いたいことはいろいろあれど…、
でもやっぱり、ビザをもらえなければ何も始まりません。
冷淡な対応でへこんだきもちに、ここで一喝!
せっかくタイ行きが見えてきたのに、
こんなことで負けてはいられない!

ついでに私は奥野さんにも一喝!
「奥ちゃん、今はできる限りの手を尽くそうよ。
タイでの実績はゼロだけど、こうなったら
今までやってきた仕事の実績、見せればいいじゃん。
v 必要書類ぜ~んぶ揃えて、
自分たちの本や写真集もぜ~んぶ提出しよう!
それでもダメなら別の方法を考る。
悩んでも仕方がない。とにかくトライするしかない!」

こうして2004年5月下旬から、
私たちのビザ取得大作戦が始まったのです。

Mビザ取得のための第一難関、
必要書類は以下のようなものでした。
―タイの会社からの英文招聘状
―日本の会社からの英文推薦状
―英文履歴書
―タイ語に翻訳し、翻訳認証を受けた戸籍謄本
(2004年当時は英語でも受け付けてくれました)
―英文の大学卒業証明書
―これまで書いた記事とその翻訳、出演ビデオなどとその英文説明
―パスポートのコピー
―家族全員のパスポートのコピー
これらを持参して、まず大使館の担当者から
英語で面接を受けなければいけないのです。

提出できない書類があり、
「タイの会社の英文招聘状などありませんが…」と
大使館側にまたまた問い合わせると、
「ないものは仕方ありません。
では他のものを全て揃えてください」とのこと。

ep放送のプロデューサーに英語推薦状をお願いする。
英文履歴書は大使館のサンプルを見ながら、
辞書を片手に自分で英訳して制作。
翻訳会社に戸籍謄本を英訳してもらい、
公式の認証をもらうのには1週間ほどかかりました。
20年ぶりに目白にある大学の学生課も訪ねました。
英語の卒業証明書とついでに成績証明書も
出してもらったりして…。
「へえ~、私は大学時代、結構語学系の
成績よかったんだあ~」なんて1人で感心したりして。
大学の書類は幸いにも1日で出してくれました。

これらの書類をすべて揃えるのに2週間ほど。
書類が揃った段階で大使館に連絡を入れ、
面接の日時を決めてもらいました。面接日は6月下旬。
面接の報告とすべての書類がタイ本国外務省に送られ、
書類審査を受けて1ヶ月後くらいに結果がわかるというのです。

1ヶ月後とは、なんと気の長い話…。
ふーっとため息をつきながら、大変なことに気がつきました。
順調にいってもビザの結果が出るのは7月下旬。
それって、かなりヤバい…!

ep放送『アジアン・ビュー』の第1回目の
オンエアーは12月と決定済みでした。
11月初めには番組用の編集映像をテレビ局に
見せるというのが先方との約束です。

学校のこともあるので、
10月半ばにはなんとか家族でタイに渡りたい。
そうすると9月後半から10月は引っ越し準備や
諸々の手続きなどでほとんど仕事になりません。
その時期を外して映像制作期間を逆算すると
8月初めから9月前半までの1ヶ月でテレビ番組の
取材と編集をすませる必要があります。

番組の編集に慣れている業界人なら
余裕のスケジュールなのでしょうが、
なにしろこちらは編集作業も手探り状態。
しかも右も左もわからないチェンマイで、
なおかつ言葉もできないし、
滞在先の家もまだ決まっていない状態です。
そんな中、1ヶ月間で番組を形にするのは、
正直言ってかなり危ういスケジュールです。

その現実に気づいたとき、
私たちは思わず空恐ろしくなってしまいました。
「奥ちゃん、なにがなんでも8月初めには
現地取材を始めないと12月には間に合わないよお」
私が言うと、奥野さんは慌てます。
「ビザがとれてもとれなくても、
ぼくだけでも8月初めにタイ入国死守!
取材を始めなきゃ、大変だあ~!」

6月下旬の面接日を待つ間、
彼は航空チケットの手配に走りました。
夏休み期間中で飛行機はすでに込み始めています。
ようやく確保できた奥野さんのチケットは
8月6日成田発のタイ航空、チェンマイ直行便。
(その後、しばらくしてチェンマイ直行便は廃止されます)
なんとか面接と審査をクリアーして、
彼の出発前にMビザがおりればいいけど…。
それからは祈るような日々でした。

(この続きは次回1月14日をお楽しみに。
『夜逃げでチェンマイ』は毎週木曜日に更新です)

佐保美恵子:ノンフィクションライター&ビデオディレクター
学習院大学フランス文学科卒業。ファッション雑誌の編集をへて、フリーランスのライターに。マンデラ大統領誕生前後の南アフリカを6年間取材して、 雑誌やテレビでルポを発表。1994年から子育ての傍ら、雑誌『アエラ』『サンデー毎日』『マリークレール』などで人物ルポを担当。2001年から写真家の奥野安彦(夫)とともに北タイにあるHIVの子どもたちの家「バーンロムサイ」を取材し、その活動を支援してきた。2004年10月、CSデジタルテレビの番組制作の仕事を機に、家族4人でチェンマイに移り住む。映像制作、執筆の傍ら、自分たちのウェブサイト『日刊チェンマイ新聞』を独自のメディアに育てるべく奮闘中。著書に『マリーの選択』(文藝春秋)、『生きるって素敵なこと』(講談社)、『ガジュマルの木の下で』(岩波書店/企画編集担当)、『千の風にいやされて』(講談社)

奥野安彦:写真家&ビデオディレクター
東京綜合写真専門学校卒業。1986年から韓国に留学して韓国語を学ぶ傍ら、ソウルオリンピックまで現地の若者たちを撮影。マンデラ大統領誕生前後の南アフリカを6年間取材して、現地の人々を撮り続ける。1995年、阪神・淡路大震災発生直後から現場を撮影。1996からパラリンピックのアスリートたちの撮影に取り組み、写真集『BODY(ボディ)』(リトルモア)を出版。写真集に『ウブントゥ・南アフリカに生きる』(第三書館)、『瓦礫の風貌 阪神・淡路大震災1995』(リトルモア)、『ガジュマルの木の下で』(岩波書店/名取美和・文)、『てつびん物語』(偕成社/土方正志・文)


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