タイに暮らして早23年、ずっとタイ族の染織に魅せられてきた。
藍染めの青、黒檀染めのこげ茶、蘇芳の赤紫など、
アジアの自然が染め出す色は多種多彩。
浮き織、縫い取り織、綾織、つづれ織、絣など
織りの手法も民族や地域によってさまざま。

共通しているのは、織布そのものを身にまとうこと。
「着る」という洋服感覚とは違って、
アジアの空気をふんわりと抱きながら、
肩にかけたり、腰に巻いたり、頭に巻いたり…。
からだと心にうんとやさしく、うんと自由に…。

たとえば女性の腰衣は、織り幅を筒のように縫い合わせるだけ。
スタイルがシンプルな分、なんとも美しいのが織りの表現。
すそ布に凝った縫取り織をするタイ・ユワン族の人たち。
腰まわりに一番派手な模様を織るタイ・ルー族の人たち。
黒や藍を基調とした頭巾や腰衣をまとうタイ・ダム族の人たち。
民族や出身地によって、腰衣のパターンや染織手法、
好みの色が違っていて、それはそれは興味がつきない。

中国雲南省、ラオス、ベトナム北西部、タイ、ビルマなど
東南アジア内陸にはその昔、タイ族のくにぐにが広がっていた。
そしてさまざまな先住民族とまじわり、
交易や婚姻、移住によって文化が変容していった。

国境は植民地化によって、引かれた地図上の線。
そんな国境を飛び越えて、織と布をもとめて東南アジアを旅してみよう。
それぞれの土地で、どんな民族が暮らしているのか。
どういう布が織られ、どのように使われてきたのか。
人の交流で染織文化がどのように継承され、変わっていったのか。

ときには村の市場でつまみ食い、ときには辺境の村祭りで踊り明かし…。
アジアの穏やかな風を感じながら、ゆら~りゆらりとマイペース、
織と布と人々の暮らしをたどる不思議探訪、さあ、ごいっしょに。
上の写真はラオス北部ムアン・フンで織られたパーシン(筒型スカート)の模様。この地域に住むタイプアンの人たちのもので織りの緻密さ、オレンジやグリーンの色合いを好むこと、地の経糸や紋織に絹を使用していることなどが特徴。白っぽく光るジグザグ模様は、「グアック」と呼ばれる竜あるいは大蛇(水の神)を象徴している。
「こんにちは、坂本茉莉です」(プロフィール)
アジア暮らしの振り出しは大学卒業後、スラムや難民キャンプ、農村における教育支援活動を行なう「シャンティ国際ボランティア会」バンコク事務所勤務でした。仕事で訪れた東北タイの絣布や北タイの民族衣装に魅せられて、「タイの染織」という講義が開設されたチェンマイ大学美術学部タイ美術学科の聴講生に。そのときの講師の一人、パトリシア・チーズマンさんの著書「ラーンナーの染織」を日本語に翻訳。その後、チェンマイ近郊にあるランプーン工業団地の日系企業に勤務。フリーランスの通訳・翻訳業、JICAシニアボランティア(都市計画・景観保全グループ・コーディネーター)を経て、現在はチェンマイ大学修士課程地域研究科2年在籍中。タイ族の染織文化をテーマに、フィールドワークで「ガイドブックには紹介されない東南アジア辺境」を旅しては、論文の準備に忙しい日々を送っています。
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第 6 話 ラオス北部の旅―染織と人々の暮らし6
托鉢とパー・ビエン

北部タイの古都チェンマイからチェンコーンを経てメコン川を渡り、 ラオス北西部のルアンナームターやムアンシンでアカ族、ランテン族、黒タイ族などの 染織の様子と人々の暮らしをかいま見ることができた。 今回は旅の最終目的地、古都ルアンパバーンの托鉢風景とラオスの伝統衣装をご紹介しよう。
古都ルアンパバーン、早朝の托鉢風景
ルアンナームターからバスを乗り継ぎ、丸2日かけてメコン川沿いの古都ルアンパバーンにやって来た。 今回の旅の最終目的地だ。十年前に来たときと比べて、外国人用の宿泊施設やレストラン、 カフェが増えている。しかし大通りから一歩小路に入っていくと、昔ながらの生活が営まれていた。 メコン川とカーン川にはさまれたシェントーン地区には、特にたくさんの寺が集まり、 流線型の優美な寺の屋根が目を引く。



ルアンパバーンの朝は早い。夜明けと共に、寺院から聞こえてくる太鼓の音を合図に、 町の人々は寄進用のもち米を準備する。六時頃には、托鉢の僧侶が寺を出て町の通りを静かに歩き始める。 涼しい朝の空気と静寂の中、在家の人々は蒸したてのもち米を、僧の鉢にちぎっては入れまたちぎっては入れていく。 観光客のカメラのシャッターを切る音だけが、早朝の空気をわずかに乱す。地元の人は慣れたもので、 カメラの列にもまったく動じない。
伝統衣装シンをまとって、二百人の僧に喜捨
ルアンパバーンに来て二日目の朝、地元の友人に誘われて托鉢僧への喜捨に参加した。 熱々のもち米を竹籠に入れ、ござを持って通りへ出る。



僧に寄進するときラオスの人は必ず伝統衣装の筒型腰衣「シン」をはき、 「パー・ビエン」と呼ばれる肩掛け布を斜めにかける。 私も以前買った絹地のシンとパー・ビエンを身につけて、少々緊張しながら喜捨の準備をした。 僧侶の列はまだ遠く、かすかに黄色い袈裟の色が点のように見えるだけだった。 履物を脱いでござの上に横座りし、もち米の入った竹籠を持ち上げて、 喜捨前の祈りを捧げる。すべて、横にいる友人の指図通りにふるまっているのだ。 なんと白人の観光客が、私の写真を撮っている。「さあ、最初の寺の僧侶がやってきたわよ。」 友人の合図で竹籠のふたを取り、もち米を指先で丸める。 二百人以上の僧が通るのだから、ほんの一つまみだけ指に取って少しずつ鉢に入れなければならない。 実際やってみると、これがなかなか大変な作業であった。私の指の皮が薄すぎるのであろうか。 熱いもち米を指に取るのにひと苦労だ。つい大きな塊のまま鉢に放り込んでしまう。 休む間もなく、高僧から下端の少年僧までどんどん押し寄せてくる。 気がつくと、私の前で僧侶の列が滞っていた。隣の友人は心配そうにこちらを見ている。 まだあと四箇所の寺から僧がやってくるというのに、私の竹籠からもち米がなくなった。 仕方なく、ござを後方にずらして友人の後ろから寄進の様子を見守ることにした。
熱心に祈りを捧げる老女、衣装の文様に込められた信仰
その喜捨の列に、熱心に祈りを捧げる一人の老女がいた。小柄な体に絹のパー・ビエンを巻き、   渋い色合いのシンをはいている。話かけてみると、今年九十歳という答えが返ってきた。   足が少し悪いようだが、背筋はしゃんとして威厳さえ感じられる。 「あんたのようにラオスのシンをはいて、托鉢の僧に喜捨する外国の人は珍しいよ。   興味本位じゃなくて、私たちの文化や習慣を体で理解しようとする人がいるのはうれしいことだね。」 通りからすぐ近くにある自宅に私を招き入れ、自分の古いシンやパー・ビエンを何枚も見せてくれた。  おばあさんのパー・ビエンには、S字型やW字型の竜の模様が織り込まれている。 竜はタイ族の守り神だと聞いたことがある。稲作で生計を立てている彼らは、雨や川をつかさどる竜を畏れ崇めたのだ。 後に仏教の信仰とも結びついて、ラオスやタイの仏教寺院には竜をかたどった階段がよく見られる。



「パー・ビエンはただの肩掛けではないのよ。こうやってパー・ビエンの端を体の前に持ってきて、そこに手を合わせて頭をつけ、僧侶や仏像にお参りするためのものでもあるんだよ。」おばあさんは、実際にお参りをするように手を合わせ、パー・ビエンの使い方をみせてくれた。チェンマイでも、大事な仏教行事の日に伝統衣装のシンをはき、 パー・ビエンと同じような肩掛け布をまとって寺に行く慣しがある。織布の文様はその地域ごとに少しずつ異なるが、もともと同じタイ族であり、同じ文化圏であることをあらためて認識した。
裏通りの工房で織る、赤タイ族の伝統衣装
夕方カーン川沿いに散歩していると、どこからか機の音が聞こえてきた。音をたよりに路地に入ると 、裏通りの一画にある織工房につきあたった。織っている少女はルアンパバーン在住で、今織りを習得中だそうだ。 もう一人横で整経作業中の女性は、ラオス東北部のサムヌア県から来た赤タイ族の織り手である。 十一才のときから、母親に機織りと整経を教えられたという。赤を基調とした浮織と縫取織のパー・ビエン。 これは赤タイの伝統衣装で、精霊信仰の行事に使用すると聞いた。故郷から遠く離れたルアンパバーンで織りを続け、 後進の指導をするこの女性。ラオスの布はどれもすばらしいが、その中でもサムヌアの赤タイ族の織りが一番美しいのだと、 誇らしげに語ってくれた。



工房を後にして、カーン川沿いからメコン川のほとりに出る。メコンに沈む夕陽は、 タイ・ラオス・ベトナム…どこで見ても非常に美しい。川岸につながれた小型船の近くで水浴びの音が聞こえ、 夕餉の仕度をする煙が立ちのぼっていた。 この二週間の旅で、様々な人そして染織品との出会いがあった。 タイと国境を接する内陸国のラオスはえてして地味な存在だが、各地方に独自の文化が残り、 また民族ごとの特色が一目瞭然である。それをいかにして次の世代に伝えていくか。 海外で売れるデザインや色にしていく試みもその一つであろう。が、日本やタイと異なり、 まだ民族衣装が日常の衣服として使われているラオスでは、 共同体の中で受け継がれていく伝統の力も大きいと思う。 外国の影響を受け急激な変化が起こっている一方で、伝統の布や染織の技術を守り、 それを誇りに思う女性たちがいる。そんな女性たちが主体となって、 各民族の伝統文化が次代に受け継がれていってほしいと、心から願っている。

(「バンコク週報」2003年掲載の記事より)