【子供の質問力について】

『帰る場所』近藤ようこ(角川書店)



このところ、坂口安吾の『戦争と一人の女』、折口信夫『死者の書』につづき、夏目漱石の『夢十夜』と、文学作品の漫画化で注目される近藤ようこだが、本書は品切れしていた短編集『極楽ミシン』を再編集し、単行本に未収録だった2編を加えていたリニューアル本。なんでも未収録の「豆腐」という短編漫画がいい。

若い夫婦が、認知症の症状がでてきた夫の母親を引き取るという話で、初出は「ビッグコミック」2003年8月17日増刊号。

夫は会社員。妻も自宅で算数の塾をしている。ふたりの年齢は30を超したくらい。子供がなく、捨て犬だったジョンという犬を飼っている。

夫は、内向的な性格らしい。うつむきかげんな姿勢で描かれることが多い。対して妻は明るい。ハキハキとしていて清清しい。義母との同居についても前向きだ。

同居から数日。トイレの場所がわからず、夜中に夫婦の寝室に入ってくる母親にきつくあたる夫と、なだめながらトイレについていく妻のシーン。自分ならどうだろう?やっばり、ついきつく言うんじゃないか。

しばしば、自分ならば、と立ち止まりながら読んでしまうのが、近藤ようこの現代ものの特色だ。



母親は認知症が始まったとはいえ、シャンとしているところも多く、かつては保険の外交員をしながら女ひとりで息子を育てた人である。片親だから、と言わせないため、息子の躾には厳しかったことが、夫の回想目線で描かれる。

仕事が忙しく、子供のために時間をさけなかったのがわかる。そうしたシーンが切ない。そういえば、そういうところがあったなぁ。とうに他界にした、わが母のことを思い出した。ここでまた、めくる手が止まる。

この夫、自分に似ているなぁ。うらみがましく、してくれなかったことをいつまでも忘れずにいる。ちょっと頑固っぽく、恨みがましい性格はジブンそっくりで、苦笑してしまう。

タイトルの「豆腐」の由来は、パープーの、あの呼び込みのラッパの音。たまたま塾の教え子が吹く縦笛の音が、ラッパの音に似ていて、夫婦は昔を思い出す。

そうこうしていると、母親の徘徊が始まるのだ。どこに行こうとしているのか。夫は、母のあとをついていく。

そこで、夫はあることを思い出す。ラッパと豆腐にかかわる、ある記憶だ。

何十年ぶりかで思い出した彼は、思いちがいというか、恨みがましく思っていた出来事、なぜ母があの頃、自分が望むような母親ではなかったのか。したくとも、母にはそうできなかった事情に気づくのだ。それが豆腐にかかわっていた。



語られる逸話は、おそらく昭和の高度成長期にそんなにはめずらしい話ではなかったことに思える。うちは、両親揃っていたものの、母親はひとり農家の仕事に追われ、子供の世話になかなか時間をさけなかった。いまならそれは理解できるものの、当時はそんな母の気を引こうとして無茶を言っていた。愚息だった。

「豆腐」の話にもどすと、老いた母親の口元、手にさげた袋を揺らしながら「豆腐」「豆腐」と繰り返す母親を見て、主人公の夫は自分の間違いに気づく。知らずにいた母を知るというのか。向田邦子のドラマにも通じる、いい場面だ。

冒頭の「極楽ミシン」も久しぶりに読み返すと、古い足踏みミシンを使い洋裁の仕事をしていたアパート住まいの初老の女性が、修理を頼んだものの「寿命」を告げられ、将来を悲観する……。

読者としても、さびしい気分になっていると、転機となるのが、隣家の幼稚園くらいの女の子の存在だ。

母親が留守で、玄関で立ちすくんでいるのを見て、彼女は「ママが帰るまで」と家に招き入れる。

絵を描きながら、お嫁さんになるのが夢という女の子が「おばちゃんは大きくなったら何になるの?」と訊ねる。あどけない表情がいい。

もう大きいもの、と笑い返す主人公に、その子は「でもっ、でもっ」と、しつもんする。「もっと大きくなったら何になるの?」「ミキちゃんもいっしょに考えてあげる!」という。

その後、主人公はミシンを新しい電動のものに買い換える。もちろん、幼い子供との会話が動機になっているのはたしかだ。ひとがひとを知らぬ間に助けるというのはこういう瞬間なのだろうな。

そういえば、膨大な夫婦の写真を撮影してきたキッチンミノルさんが、撮影の際に呼びかけていたのが、「10年後の自分たちを想像してみてください想像してみてください」という一言。子供には、難しいことは無理だから、自分がしたいことを考えてというそうだ。


Profile/プロフィール

「ウラカタ伝」 waniwanio.hatenadiary.com

朝山 実(あさやま・じつ) 1956年、兵庫県 生まれ。地質調査員、書店員などを経て 、ライターとなる。「居 場所探し」をテーマに人物ルポやインタビューを数多く手がける。著書に『イッセー尾形の人生コーチング』(日経BP 社)、映画のノベライズ『パッチギ!』(キネマ旬報 社) 、アフター・ザ・レッド 連合赤軍 兵士たちの40年』(KADOKAWA)、『父の戒名をつけてみました』(中央公論新社)など