旧知のライターの朝山さんに登場願った。
もう何年前でしょうか?
う〜ん、20年はこえると思うのですが。大阪から東京に出てこられて、直ぐに友人の紹介で会い、仕事を始めたりしたのです。以来、20年?ライターとカメラマンという関係で仕事をしてきました。
 その朝山さん、ずいぶんと著者インタビューを手がけてきました。朝山さんが選ぶ人選ぶ人、皆さんどんどんメジャーな賞を取って巨匠になる。なので、巨匠なる前の作家を知っている、僕も写真を撮ったりしている。この巨匠、えらくなる前は服屋さんだったんだよなんてね、思ったり出来る。
 そんな朝山さん、見る目がある朝山さんに日刊チェンマイ新聞でも書評をお願いしたのです。
奥野


 

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『ソラリーマン』というホンの話。

キヲツケの姿勢のまま、おじさんが、ぴょんと宙に浮かんでいる。なんだかおかしな写真集だ。空へ跳ぶから、『ソラリーマン』(ピエ・ブックス)らしい。

企画・撮影したのは、青山裕企さん。78年生まれの写真家で、「日本社会における記号的存在」をモチーフに、サラリーマンや女子高生を撮っているという。ふざけているように見えるが、けっこう奥が深い。なにより、サラリーマンをバカにしていない。

 総勢40人。市役所の職員からメディア業界の社員まで、ヒラも社長もスーツ姿でジャンプ。跳ぶ一瞬を捉えているのがおもしろさだが、ジェットコースターの記念写真のような、パニくった顔ではない。ひとにはいろんな表情があるんだなぁと、あらためて納得してしまう。

テレビでよく見かける国会議員も40人の一人として加わっているが、とくにそれを宣伝するわけでなく、平等を貫いている。

ひとりの「ソラリーマン」につき4ページ。名刺を手にしたモノクロ写真(そっけない感じだが、持ち方がそれぞれちがっている)があり、めくると見開きページになっていて、左右に一対のカラー写真が目にはいる。さらにページをめくれば、「自分の仕事」について語るモノローグのインタビュー文という構成だ。

見開きカラーの「左」ページは、ポートレイトで、ごくふつうにすました顔写真。けれども「右」に視線を移すと、じつに思いおもいにソラリーマンたちは空を跳んでいる。

たとえば、白いワイシャツにネクタイ、革靴の青年。ジャンプしながらボクシングのファイティングポーズのように拳を構えている。かっこいいじゃないかと思って、名刺を確認すると、「東京消防庁、消防救助機動隊、消防士長」。

消防士長の小久保さんは、「もしもこの先事故などで体が動かなくなったとしても、救急には関わっていたい」とインタビューに答えている。仕事が好きでたまらないというのが、宙に浮かぶ精悍な顔にもよくあらわれている。

「よぉっ!」と片手を挙げてソラリーマンしているのは、学生服メーカー勤続44年の土屋さん。高校の園芸科を出て就職した。そのときの社長面接が変わっていたらしい。いきなりタバコを勧められ、 「一瞬迷ったけど、私はその場で吸っちゃった。ふたを開けたら、6人中タバコを吸ったのが3人、断ったのが3人。吸ったほうが全員受かってたんです(笑)。よく分からないけど、たぶん、相手の素直さを計っていたのかもしれませんね」。

 未成年者の喫煙のよしあしはともかく、土屋さんが44年経ったいまでも楽しげに当時のことを話す。社長さんは嘘や言い訳が嫌いで、相当な変わり者だったというが、好きになったのは伝わってくる。

ほかにも、満面の笑みでグリコのように両手を広げたり、馬跳びふうに足をひらいたり、黒鞄を片手にダッシュ、あるいはヘンシンもののヒーローのように反り返ったり、「ダーツ!!」って大声をあげたり、サッカーのゴールキーパーのように横っ飛び(スーツは大丈夫なのか)と、まあそれぞれに身体を動かし、表情もさまざま。じつに個性的だ。

何処で撮るかの選択も「ソラリーマン」の自由らしい。交差点や酒場の路地、職場のコピー機の前、緑の公園、マイルームと、選んだ場所からもソラリーマンの人柄が出ている。

とかくサラリーマンは表情がとぼしいとひとくくりにされがちだが、そんなはずはなかろう。安易に断定しすぎじゃないか。たとえばイッセー尾形さんが演じてきた何百人もの「サラリーマン」「庶民」はどうだ。ちょっとずつヘンな癖をもっている。アリの群れのように似て見えても、ひとりとして同じ存在はない。ソラリーマンのジャンプにも、それはよくあらわれている。

「気持ちよくヘンシンしているこのひとの職業は何?」。仕事が乗らないときになんとなくパラパラとめくっては面白がっていのだけれど、ふと、この本を楽しむポイントがずれはじめた。

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両手をスボンに突っ込んだままピョンとする。なんだかやる気なさげで、つまらなさそうなひとだなぁと思ったりしたのは最初のころの感想で、何度か見返していると、そのノリのわるそうなひとたちのことが気になってきた。さらに日が経つにつれ、唇はぎゅっと閉じているのに頬がつい緩んでいるくらいの、微妙なソラリーマンにシンパシーを抱いているワタシを発見するのだ。

思うんだが、このごろの、とくにテレビがそうだが、メディアは喜怒哀楽のシロクロをはっきりさせなきゃいけない強迫観念にとらわれすぎなんじゃないか。

いつ頃からか欧米、とりわけアメリカを比較対象にして、意志をはっきり伝えるのがいいとされ、できないのはナサケナイことだといった空気がつくりだされてきた。しかし、そうだろうか。思ったことをストレートに言葉にしないこと、できないことは、そんなにダメなことなのだろうか。

アメリカ人のオーバーアクションは、文化の異なる多民族が共存するための術だといわれる。お互いを理解し難い同士が暮らさねばならない環境が土台にあればこそ、わかりやすいジェスチャー文化が発展するのは当然なことだろうが、日本には日本の文化ってものがある。あいまいなニュアンス(表情)から、相手の気持ちを察知してきたのだと思う。「空気が読めない」ことを蔑む時代のファッションと、過剰なまでに喜怒哀楽を表にだせと強要するテレビは地続きに思えてならない。そういえば、ちかごろのギャグ系のマンガの表情がとってもわかりやすいのも無関係ではあるまい。

それはさておき「ソラリーマン」の心地よさは、表情豊かなソラリーマンたちに楽しくなるのはもちろん、あいかわらず空を跳ぼうが無表情なままのソラリーマンたちに、指図も注文をつけず、無表情なまま載せていることだ。

で、彼ならどんな具合に跳んだだろうと顔が浮かんだのが、永沢光雄さんだ。事典のようなボリュームの、AV女優さんたちをインタビューした『AV女優』で脚光を浴びた。ひとくくりにAV女優といっても、まったく同じ人生はない。背負った翳は似ていても、ひとりひとりに、ひとりひとりの人生がある。それを伝えようとしたのが永沢さんの仕事だった。

その永沢さんが生き急ぐように亡くなって、3年9ヶ月になる。すごくおっとりとした話し方で、物腰もおだやか。酒がなくては、ひとに会って話すことができない性格だったのが結果的に命を縮めてしまった。無言を恐れず、耳を傾けることのできる。愛想はないが、愛らしい。ついしゃべってしまう「間」をもったひとだった。

気が滅入ると、本棚からひっばりだすのが『強くて寂しい男たち』(ちくま文庫)だ。無縁にちかいスポーツ選手に会いにいく、ちょっとムチャなインタビュー集だが、たんなるインタビュー記事に体裁を整えず、取材の前後を記しているのが永沢さんらしい。

なかでも秀逸なのは、ボクシングの元世界チャンピオンの輪島功一。ジムの会長なのに、練習生の脱いだ靴を黙って整理しているところを永沢さんは書きとめている。

〈入り口近くの下駄箱の前で、脱ぎ散らかされた練習生の靴を几帳面に並べているジャージ姿の男の背中に、僕は、
「会長さんはどこにいますか?」
 と尋ねた。
 しゃがんでいた男は立ち上がり、ジャージについた埃を手でパッパッとはらうと、向き直り僕の顔をジッと見て、
「会長は俺だよ」
 と言った。〉

 輪島は、こう答えている。気づいた人間が靴を揃えてくれるようになったらいいなと思っている。気づくまで何百回でもやればいい。強制は嫌いだからと。

 この場面を読んでワタシは、現役時代、しゃがんだ姿勢からぴょんとジャンプしてパンチを放つ「カエル跳び」の変則的なボクシングスタイルが好きになれず、なんだかなぁと思っていた輪島のことがいっぺんに好きになってしまった。恐怖の手のひら返しである。しかし、およそ本質とは思えない、なんでもないところに視線がゆくのが永沢さんのノンフィクションのおもしろさである。版元品切れになっているのが惜しい。
(朝山実)

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Profile/プロフィール

朝山 実(あさやま・じつ) 1956年、兵庫県 生まれ。地質調査員、書店員などを経て 、ライターとなる。「居 場所探し」をテーマに人物ルポやインタビューを数多く手がける。著書に『イッセー尾形の人生コーチング』(日経BP 社)、映画のノベライズ『パッチギ!』(キネマ旬報 社) 、アフター・ザ・レッド 連合赤軍 兵士たちの40年』(KADOKAWA)、『父の戒名をつけてみました』(中央公論新社)など