旧知のライターの朝山さんに登場願った。
もう何年前でしょうか?
う〜ん、20年はこえると思うのですが。大阪から東京に出てこられて、直ぐに友人の紹介で会い、仕事を始めたりしたのです。以来、20年?ライターとカメラマンという関係で仕事をしてきました。
 その朝山さん、ずいぶんと著者インタビューを手がけてきました。朝山さんが選ぶ人選ぶ人、皆さんどんどんメジャーな賞を取って巨匠になる。なので、巨匠なる前の作家を知っている、僕も写真を撮ったりしている。この巨匠、えらくなる前は服屋さんだったんだよなんてね、思ったり出来る。
 そんな朝山さん、見る目がある朝山さんに日刊チェンマイ新聞でも書評をお願いしたのです。
奥野


 

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盛田隆二さんの『二人静』というホンの話。

ベッドの側に置かれた父の眼鏡ケースのなかに、小さく折りたたまれた紙切れがしまいこまれていた。

電話番号と、若々しい女性の名前が書かれていた。それも二枚。

父に聞くと、不機嫌そうに、むにゃむにゃと答える。親切にしてもらった看護婦さんから、退院にあたって書いてもらったらしい。

退院の日、病室のあるフロアを車椅子にのって一周、二周し、「きょう退院なんですね。さびしくなりますねぇ」と、孫ほどの年の看護婦さんに声をかけられ、父はニコッと笑い返していた。

父が救急車で運ばれたと聞いたのは、お盆の前だった。庭いじりをしていたときに、歩けなくなったのだという。立ち上がるのにふらつき支えを必要とすることはあっても、歩けなくなるのは父にとってもショックだったのだろう。救急入院したあとも、父は「熱中症」のためだと言い張り、老いを認めようとはしなかった。

八十になってからも、ひとり暮らしをつづけてきた父の入院で、この夏は新幹線で忙しなく往復することになったが、父は息子であるワタシの顔を見ても、「ああ」と昭和天皇が挨拶するのを真似たかのように手をあげるだけ。あとは何を言うでもなく、ベッドでじっとしていた。

当初はともかく、入院も長引くと、見舞いに訪れても話題は尽き、親子で黙ってしまっている。耳の遠くなった父が音量をあげてくれというテレビのノイズがなければ、かすかな物音に、どのように時間を過ごしていいものか思案したにちがいない。

ふたりきりの間は、ぼんやり天井を見上げていた父だが、看護婦さんがやってくると、とたんに表情がいきいきしだすのには、正直、おどろいた。あきれもした。はじめてみる父である。父ではない「父」がいた。

盛田隆二さんの『二人静』(光文社)は、母親が亡くなったあと、長く父子ふたり暮らしだった主人公の71歳の父が介護施設に入院するところから始まる長編小説だ。

施設に勤務する介護士の女性を、まず父親が好きになり、主人公も好意を寄せるようになる。彼女には「場面かん黙症」という人前で声が出なくなる小学4年生の娘がいるのだが、主人公は、じきに少女や父も含めた家族ぐるみの付き合いとなる。

恋愛のはじまりや介護の現場で起こるトラブルなどもリアルだ。女性の離婚したDVの元夫がストーカーとなって押しかけ、自分がこの立場に置かれたらどうするんだろうかというスリリングな展開もあり、ジミなタイトルで損をしているんじゃないかと思うくらい、読み始めるとはまってしまった。

うちの父にもそういうところがあったよなぁとひきつけられたのは、冒頭の家族を紹介したくだりだ。

税務署に勤めていた「父」は、定年退職後は家から出ようとはしない。いっぽうで妻が働きに出るのが気に食わず、小児科の看護士だった妻が布団を干して出勤した日、にわか雨でも布団を取り入れることもなく、濡れたのはおまえのせいだと責めたという、主人公の両親に対する記憶が語られる。

主人公は、生前、父が母に対してやさしいことばをかけたのを見た記憶がない。しかし母が亡くなると、父が遺影に向かって「なんで死んじまったんだよお」と涙しているのを見て、かつての憎しみの感情も消えうせたというあたり、読みながら、似たような話もあるものだと思った。

主人公は、母に肩入れしていたぶん、尊大に振舞う父を嫌ってきたわけだが、ワタシの場合とそっくりだ。この小説がいいのは、介護というやむない状態に陥ることで、主人公が疎んじていた父のことを受け入れていく、その変化だ。第三者(介護士の女性をはじめ)によって語られる父親像によって、知らなかった父の一面を自分の記憶と照合し、いい意味での書き換えを行う。その過程をつぶさに綴っていることだ。

もうひとつ、印象深いのは「場面かん黙症」の少女との意思疎通を、主人公はケータイのメールによってとっていく。面と向かっては話すことはできなくても、ケータイという道具を介してなら、気持ちを伝えあうことはできる。アリジゴクやトノサマバッタや積雲を観察しながら、たがいにケータイでメールを打ち合う、大人と子供という年齢も距離も一挙に縮めるメールのキャッチボールは、ほほえましいと同時に希望を感じさせる。

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ワタシの知っているのは、社交性にかける父だ。しかし、病院で暮らしていたのは、笑顔で気さくにしゃべりかける、まるで異なる父だった。ひとづてに聞いた話では、病院中の看護婦さんたちの手を触ったらしい。手相を見てあげるといっては、「面白いオジイチャン」とちやほやされていたらしい。

ニコニコしていた父は、看護婦さんが立ち去ると、ワタシのよくある苦虫をかんだ顔になる。さきほどの顔はなんだったのかと舌打ちしたくなるのだが、長年にお世話になっているヘルパーさんが言うには、「お父さんなりの自慢と気恥ずかしさがあるんじゃないですか。言っておられましたけど、『あれはカタブツで、冗談が通じないやつだから』って」。

あれとはワタシを指している。入院中、父なりにどう接していいか迷っていたのではないかと思ったのは、呼び方だ。二人きりなら、名前は必要ない。ひとのいるところで、クンづけで呼ばれたときは、妙な気持ちになった。子供のころに、呼び捨てにされたあとは必ず鉄拳がとんできたものだが、クンは初めてだ。

親子の会話がないのを父は父なりに、息子のカタブツさに原因があと思い込んでいると知ったのも驚きだったし、赤十字への寄付に熱心な父の理由があきらかになったのは理解に苦しんだ。

担当の看護婦さんから「知っていました? かわいいですよね」と明かされたのは、軍隊にいたころ病気になって 、甲斐甲斐しく世話をしてくれた赤十字の看護婦さんがいたとか。相手にもじゅうぶんその気持ちはあったはずで、父はずっとその恩に報いねばならないと思ってきたのだと彼女に話したという。「そのひとに会いに行きたい、住んでたところはわかっている。連れてってほしい」と手をにぎりしめられたとか。この二ヶ月、父にとっては、はなやいだ時間だったらしい。

さて、『二人静』に話を戻すと、要介護の父や話せない娘をはさんでの大人の恋愛が展開していくなか、後半、事態は急転する。彼女の元夫が現れ、強引に復縁を迫り、暴れる。いつまたやってくるのか。サラ金に借金を抱え自暴自棄となった男から、彼女と娘を守るにはどうしたらいいのか。

結末は、読者によっては爽快感には欠けると思われるかもしれないが、これしかないのだろうという現実味がある。父と接する過程で、主人公の成長があったことをうかがわせるものだ。そして読者として勇気づけられる。

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Profile/プロフィール

朝山 実(あさやま・じつ) 1956年、兵庫県 生まれ。地質調査員、書店員などを経て 、ライターとなる。「居 場所探し」をテーマに人物ルポやインタビューを数多く手がける。著書に『イッセー尾形の人生コーチング』(日経BP 社)、映画のノベライズ『パッチギ!』(キネマ旬報 社) 、アフター・ザ・レッド 連合赤軍 兵士たちの40年』(KADOKAWA)、『父の戒名をつけてみました』(中央公論新社)など